公立小学校って、全国どこでも一緒なんじゃない、と気づいた
子どもが小学校低学年で不登校になったとき、
学校について徹底的に考えました。
人数が多いのが駄目なのか、
一方的に教師が説明してそれを聞くという授業スタイルが嫌なのか、
「お勉強がいや」という言葉から、原因を探ろうとしました。
個別に勉強すれば、できないことはない。
保育園の頃から、自分で字を勉強したり、好きなことを勉強したりする子でした。
でも、どうしても「学校のお勉強がいや」で、
学校への拒否反応から、勉強そのものまで大嫌いになってしまっている。
子どもの話を聞いたり、先生と話しても、
「お勉強がいや」の原因は見えてきませんでした。
もしかしたら、授業のスタイルがおもしろくないのでは。と感じました。
そして、どうやら、学校という仕組みそのものに、
うちの子はフィットしないんじゃないかと思うようになりました。
そのとき、気づいたんです。
「待て。公立の小学校って、全国どこでも、だいたい一緒なんじゃないか」
ってことに。
学校の学び方が難しい子は、どうなってしまうのか
保育や福祉に関しては、一斉保育ではなく、その子の育ちに合わせた独自の保育をしている園も多いと聞きます。
しかし、小学校以降、特に「公立」である小学校で、そんな話は聞いたことがありません。
全国どこに行っても、基本的に同じ仕組みで授業がなされている。
それに気づいたとき、
「島留学」とか、「山村留学」とか、そういうことができたらちょっとは楽になるんじゃないかという思いが吹き飛びました。
”どこに行っても同じなんじゃないか”
それはちょっとした絶望でした。
不登校を理由に、支援級には行けないと言われる矛盾
特にうちの自治体では、
「不登校の子は、支援級には入れない」と言われました。
理由は、人数の制限があり、希望者も多い支援級に入っても、
不登校で来られないから、のような感じで話をされました。
…いや、めちゃくちゃ矛盾してるだろう、と。
学校の授業に不適応を起こして、
支援が必要なのに誰にも助けてもらえないから不登校になってしまったのに、
不登校になったら支援できない、とは。
その後、いろんなフリースクールを見学に行きました。
そこで「公教育では、子どもひとりにつき年100万はかかっている」というような話を聞いたりもしました。
フリースクールでは、その恩恵にあやかれないため、
親がそのほとんどの経費を担うことになると。
そんな公教育を、受けることができない、我が家。
学校や教区委員会に、
支援やお願いしたことを断られるとき、
なぜ矛盾がまかりとおっているのか尋ねたときも、
「子どもひとりひとりに向き合って〜」などと
表向きの綺麗事の言葉でごまかしてくるのです。
でも、結局は「そういう決まりだから無理です」ということでした。
「行けないのは、あなたの子どもが悪いからでしょう」とでも言われているような気がしていました。
もういっそ留学すっか、お金ためて。
どうせ学校に行けないんだし、
行くところもなく、学校に行けないことでストレスのたまった子どもとぶつかりあう、という日々でした。
あらゆるところに相談に行き、
どうにもならないことで、がんばっても無駄なことがあると思いました。
(こういうのを学習性無力感というんだね。と思いながらも
いまだに、その無力感は消えません)
しかも、日本全国津々浦々、「学校」という仕組みはほぼ同じです。
そして、
「もう日本あきらめるか。
どうせ学校行けないんだし、お金ためて、留学でもすっか!
そしたら英語はできるようになるかもしれないし」
そんな気持ちになっていきました。
コメント