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不登校のはじまり。魔の時期は、6月。

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不登校のはじまり

子どもの不登校がはじまったのは、小学校低学年。

もともと、最初から、なんだか楽しそうではなくて、行き渋りもありました。

それが、まったく行けなくなったのは、ゴールデンウイーク明けをなんとかやり過ごしたあとの、6月でした。

魔の”6月”。6月って何かある。

よく、不登校で話題になるのは「9月1日」。

かつては、だいたい全国どこでも、

長い夏休みが明けて、二学期の始業式になる日でした。

この日に、命を絶ってしまう子どもが突出して多いと知られるようになったから、

最近ではこの日をタイトルにつけた本や、テレビ番組の特集などが組まれるようになりました。

最近は、文部科学大臣の名前入りで、わざわざ学校に「悩みがあったら相談して」というお便りが配られています。

でも、この日にお便りを配るなんて、遅い。

そんな、最終手段が目の前にちらつくまで、もっと前に、もっと多くの、大人ができることがあったと思うのです。

「もっと前に」、その時期で真っ先に思い浮かぶのが、「6月」です。

子どもが不登校になって、「6月」のおそろしさに気づきました。

大人でも新人の離職が増えるのは、6月と11月。

大人でも、学生から入社した新人の離職のタイミング、7月と12月が多いと聞いたことがあります。

つまり、意気揚々と入った4月、その後、

6月と11月に何か「もう無理」と我慢の限界を超える状態になり、辞職を決断する。

そして、実際に退職するのはその翌月(もちろん、ボーナスとの兼ね合いもあるとは思いますが)。

何かあるのです。

私にも経験があります。

4月に意気揚々と新しい環境に飛び込んで、

5月まではなんとか緊張もありやりきって、

6月、曇りや雨の天気が悪い日が増え、仕事にも慣れてきたら逆に、

急に今までの疲れがどっと出てしまったこと。

天候も悪く、疲れが出やすい時期、メンタルの調子も、落ちてしまうのではないでしょうか。

限界になる前に、手をさしのべることができていたら

完全不登校になってしまう前に、

何かしら手が打てていたらと、今だに思います。

完全不登校になってしまってからの日々は、本当に辛かった。

子どもにとっても「行けないこと」が重荷になり、プレッシャーになり、

1日、行けない日が増えれば、その分、プレッシャーの重荷も重くなる。

日にちが重なるほどに、学校への敷居が高くなる…。

「6月」、

あのタイミングで何かできていたら、あとであんなに苦しまなくてよかったのに。

先生の言うことなんて、聞かなくてもよかった。ばかな親だった。

いくらでも後悔は浮かびます。

そして、逃げ場がない「学校」という場所に恐怖を感じてしまう子どもの気持ちも、

よくわかるのです。

一度行ってしまえば、いくら心が耐えられなくなっても、

勝手に帰ることもできず、い続けなければならない、

それが、子ども心に、囚われてしまったような恐怖を植え付けてしまいました。

もっと、ゆるやかに子どもの心を受け止めてくれる余裕を、学校に

人がいない中、40人近くの子どもを一人でみている先生には、

そのうち1人の子どもが、内面にどんな葛藤をかかえているか、

特に、その子が、表面に出さずに必死でいい子をやっていた場合など、

疑ってみるようなことはないでしょう。

また、問題行動が始まった子どもが、どんな困りごとを持ってその行動をしているのか

深く分析したりすることもないでしょう。

先生は一生懸命されている方がほとんどです。

そしてそのほとんどが、忙しすぎて、業務が多すぎます。

もともとの基準、一人が見る子どもの数が多すぎるのです。

また、学校はルールが多すぎて、子どもの心がのびのびする場所、

ほっと一息つける場所が、どこかにあるでしょうか。

息苦しい中、過剰適応することでしか、その場にいられない子どもたちがいます。

不登校予備軍の子たちです。

学校という場所の中に、ゆるくてかまわないので、

その子たちの心を受け止めてくれる人、場所があったらいいのに。

何かしら、既存の仕組みを変えないと、

そんな人、場所は生まれないのかもしれません。

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